すらすら経済学を学ぶ日記。

会計・税務の実務家が経済学をすらすら学ぶ日記。

消費税の「転嫁」に関する法律論と経済の実態の間に・・

本日のお題はこちら。

実務解説 消費税転嫁特別措置法

実務解説 消費税転嫁特別措置法

(消費税の円滑かつ適正な転嫁)
第十一条  事業者は、消費に広く薄く負担を求めるという消費税の性格にかんがみ、消費税を円滑かつ適正に転嫁するものとする。その際、事業者は、必要と認めるときは、取引の相手方である他の事業者又は消費者にその取引に課せられる消費税の額が明らかとなる措置を講ずるものとする。
2  国は、消費税の円滑かつ適正な転嫁に寄与するため、前項の規定を踏まえ、消費税の仕組み等の周知徹底を図る等必要な施策を講ずるものとする。

いきなり法律の引用でアレですが、
こちらは消費税法と同時に制定された「税制改革法」(昭和63年法律第107号)の第11条です。
実は、法律としての消費税法には「転嫁」を規定した条文はどこにも存在せず、唯一、この税制改革法のみが事業者が消費税を転嫁すべきものと規定しています。


しかし、税制改革法自体は極めて抽象的で宣言的な法律であり、
国側(国税庁)は裁判規範にはなり得ないという主張もしたりしています。*1
法学者の定説では、消費税の転嫁は法的な義務にはなり得ず、事業者は消費者について消費税を請求する権利も無いともされています。


「転嫁」は、どこまで行っても観念的なものでフィクションともいえます。
この手堅い実務書にも、最初の部分でマンキュー「ミクロ経済学」の教科書から
課税が実際に帰着する(負担する)かは価格弾力性に依存し、法の建前のように最終消費者が100%、税を負担しているものではないことを紹介しています。


本文中は、消費税還元セールをめぐる国会での論戦なども引用しつつ、3年間の時限立法として制定された「消費税転嫁特別措置法」をしっかりと解説しております。


政府が、これほどまでに「消費税は転嫁される」という建前にこだわるのは、増税への反感を和らげ、課税の正当性を確保したいためでしょうか。


さて、経済の実態は、どう反応するでしょうか。


課税の理論について引用されているのはこちらです。

マンキュー経済学I ミクロ編(第3版)

マンキュー経済学I ミクロ編(第3版)

*1:裁判所はその主張を是とはしていません。

経済学入門テキストをあれこれ買い込む前に・・

経済学を勉強してみたいなあ、と思い立って
評判の教科書を読んでもなかなか理解できない・・
との悩みは多いかもしれません。

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私も聴いてみたところ、学部の1年生の秋くらいに学ぶレベルではないかと。

ミクロ経済学 明治大学商学部

マクロ経済学 明治大学商学部


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なお、最近読んだ入門テキストで良かったと思ったのはこれでしょうか。

教養としての経済学 -- 生き抜く力を培うために

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書評はこちら。
参考文献リストも充実しており、
「次」へどう進めばいいのかわかります。

金融危機と経済学(ボツVer.)w

ボツになった原稿ですが、このまま誰にも読まれずに捨てるのも惜しい気がしますので晒しておきます。
みんなで #これわひどい #トンデモ お好きなタグで論評しよう!w

1.はじめに

 2008年9月の米国投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻を契機に顕在化した金融危機をめぐる経済学による解釈について、米国における金融規制・規制緩和をたどるとともに、危機後の規制強化に関する議論も含め、まとめる。
 主題は、金融市場をめぐる市場ルール、規制の在り方についてである。最後は日本における金融規制についても触れる。

2.米国における金融規制・規制緩和の概史
(1)グラス・スティーガル法による銀行と証券の分離(1933年)
1929年の世界恐慌前後にかけて、米国の銀行では、子会社の証券会社を利用して債務者に債券を発行させて投資家に販売し、自らの貸出金を回収する、また、自らの不良債権(南米向けなど)を裏付けに償還の見込みのない債券を発行して投資家へ販売して貸出金を回収するなどの不正(利益相反行為)が横行していた。
これらの不正はペコラ委員会の調査で明るみに出て、米国議会では銀行規制の必要性が論じられるようになる。1933年、グラス・スティーガル法が成立し、銀行業務と証券業務の分離が規定される。
 具体的には、①銀行本体による引受、ディーリング業務の禁止、株式買い付けの禁止(第16条)、②引受等証券業務を行う関連会社を傘下に保有することの禁止(第20条)、③証券会社による預金取扱業務の禁止(第21条)、④銀行の役職員による証券会社の兼業禁止(第32条)が銀行と証券の兼業禁止が定められることになる。
 また、設立根拠により州の規制を受ける州法銀行と、連邦の規制を受ける国法銀行が分かれており、監督が一元化されていなかったが、FDIC(連邦預金保険会社)が設立され加盟が義務付けられることにより米国内の銀行はFDICを通して連邦の規制下に入ることとなった(1935年)。
 同時に、証券法も改正され、証券会社も連邦の規制下に置かれることとなった。
(2)グラム・リーチ・ブライリー法制定と規制緩和
 戦後、米国でも資本市場の拡大により、事業会社は銀行借り入れよりも公募増資や社債発行による資金調達を行うようになっていく。また、欧州では銀行・証券の分離が無いユニバーサル・バンクが主流であり、これに対応するため、金融の規制緩和が求められるようになっていく。
 1987年にグリーンスパン連邦準備制度(FRB)の理事長となり、グリーンスパンの下で銀行の証券業参入の規制緩和が着手されていく。グラス・スティーガル法でも、証券業務が「主な業務」でなければ銀行業が算入できると解釈できる余地があり、これを根拠に証券の引受とディーリング業務が限定的に認められるようになる。それでも、世界恐慌の際に見られたような利益相反行為を防止するために、銀行と証券の間に28項目にも及ぶファイアーウォール規制が広範に掛けられていた。
 その後、金融業界の強い改正要望のなか、1997年にFRBはファイアーウォール規制を大幅に削除し、グラス・スティーガル法の事実上の解釈改正が進んでいくような状況となっていった(裁判所もこれを追認するような判決を出していく傾向であった)。
 1999年、グラス・スティーガル法の20条(引受等の証券業務を銀行の関連会社が行うことを禁止)及び32条(銀行と証券会社の役職員兼任禁止)が廃止され、銀行・証券会社・保険会社の総合参入を容易化したグラム・リーチ・ブライリー法が成立する。これにより、金融持株会社の下に銀行・証券・保険子会社を兼営すること、銀行・証券・保険が互いに子会社を持って相互参入することが完全に可能になった。なお、規制面も整備されたが、1990年代に論じられた一元的な監督機関の設立は見送られ、金融持株会社はFRB、銀行はOCC(財務省通貨庁)、FRB、FDICなど、証券子会社はSEC(証券取引委員会)、保険会社は州当局などバラバラの監督官庁が所管することとなり、規制の不整合や漏れ、二重化が起こり、「規制裁定」が行われる原因ともなる。
 この他、2004年には証券会社に対して規制されていた自己資本に対するレバレッジ規制がSECによって解除されるなど、いっそうの規制緩和が進められていくことになる。

3.リーマン・ショック前後の金融市場をめぐる経済学の解釈
米国への資本流入継続の下、政府の住宅取得促進政策による住宅ブームや金融技術の発達も有り、自由化された金融業界は空前の利益をあげていくことになる。
金融危機の直前まで、事実は次のようなものであると観察されていたと考えられる。
① 預金を取り扱わない投資銀行も含めた広義の銀行システムを中心に、金融市場は進化を遂げ、過去と比べてより競争的状態となった
CDSクレジット・デフォルト・スワップ) やCDO(合成資産担保証券) に象徴される様々な新金融商品が生まれ、リスクの証券化が進捗
 このような事実認識の下、金融市場にかかる規制緩和は、合理的期待や標準的な一般均衡論、価格理論の枠組みによる経済学体系、いわゆる新古典派経済学に基づいて、次のような予想をもって歓迎されていた。
① 市場がより競争的になれば、資源配分の効率性が高まるという予想(厚生経済学の第一基本定理=完全競争市場は効率的な資源配分をもたらす)
証券化デリバティブの発展は、経済全体のリスク・シェアリングを効率化させ、世界はより安全になるはずとの予想
 一部では、金融技術の発達によって、情報の非対称性が無いような完備された市場が成立したかのような「錯覚」まで引き起こしたといわれる。
 完全競争市場の前提の一つに、「情報が完全である」という仮定がある。そもそも、情報が完全であれば資金余剰の経済主体は、自ら資金不足の経済主体を探し当てて、適切な金利で金融取引を実行できるはずであり、金融仲介機関の存在そのものが不要となる。商業銀行や投資銀行が存在すること自体が「情報が不完全である」ということを示している。
 伝統的な商業銀行モデルは、預金で調達した資金を「情報の非対称性」があるなかで、借手の債務償還能力を審査したうえで融資し、償還までの長期間に渡って保有するというものである。このタイプの銀行は、情報生産活動を行うことが自らの利益となる(審査・融資後のモニタリングを行うインセンティブを持つ)。
 政府の役割(規制の設定)として、情報の不完全性を緩和するために、取引される金融商品に関する情報開示を充実させたり、情報面で不利な立場にある借り手を保護するために、貸し手に説明義務を課す等といったことが望ましいと考えられる。
 グラム・リーチ・ブライリー法後も商業銀行自体は厳しい規制の下に置かれていたものの、リーマン・ブラザーズに代表されるような新しい投資銀行が登場し、預金では無く、短期金融市場で調達した償還期限が極めて短い金融債務をもって証券化商品へ投資を行っていた。投資銀行は極限まで短期収益を追及したため、自己資本の30倍以上の短期金融債務を借入するレバレッジの高い投資を行ってきた。これは、資産全体のわずか3~4%の毀損が起きると自己資本が完全に無くなることを意味する。
  証券化により、債務は直ちに貸し手のバランスシートから切り離され、償還リスクから解放されることから、銀行は、情報生産活動を行うインセンティブを失ってしまう。また、証券化商品は複雑に合成・切り分けされて販売されるため、もはや原資産の情報が投資家にとっては知り得なくなる。その場合は、証券化商品の償還能力について格付け会社が「AAA」といった記号で情報を伝えることにより、情報の非対称性を緩和するとも言われていた。しかし、格付け会社は証券化商品を組成する投資銀行等から格付の依頼により手数料を受け取るという利益相反状態のなか、「適正な」格付けを行なうインセンティブを持たないものとも考えられる。(また、格付けに対する規制はほとんど存在しなかった)。

 このようななか、リーマン・ブラザーズの経営破綻を契機に金融危機は顕在化し、世界中に波及していくことになる。

4.ボルカー・ルールをめぐる議論
金融危機の与えた衝撃があまりに大きなものであったため、2010年7月に早くも金融規制改革法(ドット・フランク法)が成立する。このドット・フランク法のなかで、金融機関に対する規制に関するものがボルカー・ルールである。
ボルカー・ルールは、銀行・証券業の分離を定めたグラス・スティーガル法の単純な復活ではない。大きなポイントは次の3点である。
①銀行の自己勘定によるトレーディング業務の禁止
②銀行からヘッジファンド等への持分出資の禁止
③大規模な銀行合併買収の禁止(「大き過ぎて潰せない」を防ぐ) である。
 ドット・フランク法は膨大な法律であるが、実際には施行されていない。具体的な規則作りは関係当局のガイドラインや細則に委ねられており、膨大なルール改正・制定作業が必要になるためである。
ドット・フランク法は法案段階から激しい反対に晒されており、反対意見は現在も続いている。ボルカー・ルールに対する主な反対意見は次の4点に集約される。
①商業銀行による自己勘定取引は主なリスクファクターでは無い
②トレーディング市場での必要な流動性が損なわれる
③米国本拠の商業銀行の競争上の地位に悪影響を及ぼす
④規制案はあまりに複雑で、遵守のためのコストが大きい
これは、そもそも金融危機の発生原因について、民主党側では行き過ぎた規制緩和と金融機関経営者の強欲に主因を求めているのに対し、共和党側では国際的な資本移動のインバランスと金融機関経営者のリスク管理判断の誤りなどに求めており、意見がまったく一致していないためである。また、米国内のみならず、海外からも反対が相次いでおり、日本からも2011年8月に金融庁・日本銀行共同でコメントレターを出している。
 この後、オバマ大統領はボルカー・ルールの施行を求めたりもしているが、進捗の目途は立っていない。

5.まとめ~金融規制をどのようにデザインするか~
金融危機が「100年に一度」というグリーンスパン議長の言葉は広く流布され、金融危機はめったに起きないもので、しかもやむを得ないもの・避けられなかったものであったという考えも取られている。なお、この100年に一度という言葉は、危機の「規模」についてのものであり、グリーンスパン議長の発言意図とはまったく異なる文脈で使われているケースも多い。
 負債を梃子とした資産価格の継続的上昇が起こる度に、「今度こそは違う」(バブルではない)と正当化する「理論」が登場する。その崩壊後に振り返れば、まったく見当外れであってもバブルの最中にあっては気付かれないことも多い。
また、バブル最中であっても、危機が迫っていることを警告する経済学者も存在しないわけではない。しかし、たとえ錯覚であってもバブルの最中に利益追求を課せられた金融機関経営者が自ら「降りる」ことは考えられないし、中央銀行当局者が適切なタイミングで引き締めに転じることも難しい。
米国の金融規制のデザインを歴史的に振り返ると、連邦と州の分権もあって規制機関が乱立する中、一貫して規制緩和が進められており、決して有効な規制が取られていたとは思われない。市場経済において、金融危機は避けられないものであるという考え方も一部にはあるが、適切な規制の存在で危機の抑制は可能であるとも考えられる。
なお、日本においては金融規制は業態に関わらず金融庁で一元的に管理されており、米国のような規制機関の乱立や二重化による「規制裁定」は起こりがたいものと考えられるが、過剰な規制で「コンプライアンス疲れ」を金融機関に引き起こしているとの弊害も指摘されている。

自由放任的な銀行システムと、社会計画的な銀行システムをモデル化し、金融危機の発生をシミュレーションする研究も日本銀行により行われている。その結果では、自由放任モデルの方が危機が頻発する(ただし、結論は広く認められてはいない)。
 実際の政策は「目の前にある危機」への対応のため、バーゼル規制や銀行税など、経済学の理論研究より進んでいると考えられる。しかし、それが適切なデザインであるかは試行錯誤による部分も多く、理論的な裏付けが完全に近いわけではない。

「市場は目覚ましい成果を生み出してきた一方で、うまく機能しないこともありうる。特定の市場がうまく機能するかどうかは、その設計にかかっているのである」(J・マクミラン「市場を創る」)

「通常、市場は経済活動を組織する良策である。」(マンキュー経済学の十大原理、第6)
「政府は市場のもたらす成果を改善できることもある。」(同、第7)

 金融市場は素晴らしい成果をもたらしてきたものの、堪え難い苦難を招く危機を何度も起こしてきた。経済学の研究知見を学ぶことにより、市場設計=最適な規制デザインはどのようなものか、考えていきたい。

                                         以上





参考文献(配布資料以外)
池尾和人「現代の金融入門(新版)」筑摩書房、2010年

現代の金融入門 [新版] (ちくま新書)

現代の金融入門 [新版] (ちくま新書)

板谷淳一・佐野博之「コアテキスト公共経済学」新世社、2013年
コア・テキスト公共経済学 (ライブラリ経済学コア・テキスト&最先端)

コア・テキスト公共経済学 (ライブラリ経済学コア・テキスト&最先端)

奥野正寛「ミクロ経済学東京大学出版会、2008年
ミクロ経済学

ミクロ経済学

加藤涼・敦賀貴之「銀行理論と金融危機マクロ経済学の視点から」日本銀行金融研究、2012年10月
古賀麻衣子「世界的な金融危機の波及とグローバルな銀行活動」日本銀行金融市場局レビュー 2009年11月
高木仁「アメリカの金融制度 改訂版」東洋経済新報社、2006年鳥畑与一「米国金融規制改革とボルカー・ルール」静岡大学経済研究15巻4号、2011年
野々口秀樹・武田洋子「米国における金融制度改革法の概要」日本銀行調査月報2000 年1 月号
坂東洋行「日米における金融・資本市場規制改革とファイアーウォール規制緩和の一考察」
早稲田法学会誌第60巻1号、2009年
三谷明彦「ボルカー・ルールの実施に向けたルール制定の動向」みずほ情報総研レポート、2012年
A.グリーンスパンサブプライム問題を語る 波乱の時代・特別版」日本経済新聞社、2008年
波乱の時代 特別版―サブプライム問題を語る

波乱の時代 特別版―サブプライム問題を語る

J・マクミラン「市場を創る バザールからネット取引まで」NTT出版、2007年
市場を創る―バザールからネット取引まで (叢書“制度を考える”)

市場を創る―バザールからネット取引まで (叢書“制度を考える”)

弱者救済という善意がもたらす結末は?

政府が競争市場で拘束力を持つ価格規制を行うと、
財の不足が生じ、売り手は多数の潜在的な買い手に対して
希少な財を割り当てなければなりません。


競争的な市場であれば、
価格が自動的に資源配分を行いますが、
規制がある市場では、
行列・コネなどで
財が配分されてしまいます。


ソ連邦における名物であった
モノ不足による店における行列や、
消費財を党幹部だけが入手できるなどの事象です。


行列は非効率ですし、
コネは不公平です。


政府による規制の多くは、
「貧しい人を助けたい」という善意から始まります。
しかし、価格の下限を決める規制は、
時に「助けようとしている貧しい人」に
損害を与える結果を引き起こします。


最低賃金制度も価格規制の一種と考えることができます。
最低賃金は、一部の労働者の賃金を改善しますが、
同時に他の労働者を失業させてしまうことに。*1


価格規制よりも、勤労所得控除制度など、
補助金制度が優れていることが多いですが、
政府にとって費用がかかるので採用されにくく
弱者救済を名目とする直接規制が
多数採用される事態となっています。


本日の参考文献はこちら。

マンキュー経済学I ミクロ編(第3版)

マンキュー経済学I ミクロ編(第3版)

*1:最低賃金制度の効果については経済学者の間でも見解が分かれます。ここでは、価格理論上での例示の一つとお考えください。

市場の限界と「政府の失敗」について。

市場が完全に効率的になるのは
かなり制限的な仮定のもとでのみです。

こちらの過去エントリーもご覧ください。
完全競争市場の前提と「市場の失敗」。

この市場の失敗がある場合、
限定的な政府介入は、
最悪の問題を解決することができないにしても
軽減することができるというのが
経済学者の間では合意されているそうです。

しかし一方、市場が失敗するように
「政府の失敗」もあります。


それが、次の4つです。


①限られた情報。
政府の持つ情報は限定的であります。
貧困者への再分配を行うべきであることは
社会的にほぼ合意されていると思われますが、
誰が本物の貧困者であるか、
政府は区別することができません。



②民間市場の反応に対するコントロールの限界。
政府は市場を規制することはできますが、
直接コントロールすることには限界があります。
例えば、政府は診療報酬の単価を定めることはできますが、
国民が年に何回、受診するのか
直接コントロールすることはできないので、
医療費への国庫支出が思わぬ水準まで増大したりもします。



③官僚に対する支配力の限界。
市場を規制/コントロールしようと
法律を制定するのは議会ですが、その実行は
官僚機構が政令・施行規則、通達やQ&Aで
実務を行います。
官僚は議会の意向をそのまま実行しようとする
インセンティブに欠ける場合もありますので、
法律の意図がどこまで実施されるかはわかりません。


④政治過程に課された制約。
議員は選挙で再選されることが目的となるので
必要な選挙資金確保や支持層の取りまとめに
特定の利益集団の便益のために働くかもしれません。
また、選挙民側は、複雑な問題に
簡単な解決策を求める傾向があり、
貧困や格差など複雑な原因で生じている現象に対して
簡単だが誤った選択肢を示す議員へ
投票してしまうかもしれません。


これらが「政府の失敗」の原因です。


本日の参考文献はこちら。

スティグリッツ公共経済学 第2版 (上)

スティグリッツ公共経済学 第2版 (上)

経済成長すれば増税は必要ない?

経済成長すれば増税は必要ない、という意見は根強くあります。
現行の税収構造から考えて、
この意見は成り立つのか・・経済学者が試算しております。

参考文献はこちらです。

税制改革のミクロ実証分析――家計経済からみた所得税・消費税 (一橋大学経済研究叢書61)

税制改革のミクロ実証分析――家計経済からみた所得税・消費税 (一橋大学経済研究叢書61)


なお、以下の仮定は消費税に限定しており、
経済成長による法人税や所得税の増収は
計算に入れておりませんし、
あくまで現在の物価水準が変わらないとしたり
消費性向も変化しないとするなど
いろいろ問題がありますが、
議論の前の一つの仮定と考えてお読みください。


なお、数字はいずれも2009年度のものです。


消費税は家計の最終消費に転嫁されるという建前であり、
家計消費支出と実際の税収を比較することにより
効率性が測定できます。

家計は所得の全てを消費に回すわけではありません。
所得292兆円に対する消費性向は約94%。*1

所得292兆円×94%=273兆円が消費に回ります。

家計総消費支出 273兆円で、
消費税収は 約12兆円。
実効税率は約4.3%です。*2

5%にならないのは非課税品目の存在や
いわゆる益税による脱漏があるためですが、
かなり効率性は高いものと思われます。

さて、経済成長により
今回の10%引上げによる税収増は約12兆円とされます。


この税収を、5%を維持したまま確保しようとする場合、
どのくらい所得を増やす必要があるかと計算しますと、
簡単な算数で、消費性向や税収の効率性が変わらないとすると
所得も2倍にならなければなりません。


このためには、名目10%の成長を7~8年間維持しなければ
ならないという非現実的な仮定を置かなければなりません。


もちろん、所得が増加すれば
法人税や所得税の税収も増加しますので、
消費税だけに限定したこの議論は
増税を正当化するための
不十分な仮定であるとも思われます。


なお、一般会計の基礎的財政収支の赤字は
12兆円の税収増加では半分程度しか埋まりません。


所得税の累進性回復による増収や
法人税の特別措置廃止による課税ベース拡大、*3
何よりも高齢者給付に偏り過ぎた
社会保障の見直しを合せて行う必要が
あるようにも感じております。


考えを深めるためにも
勉強を続けたいと思います。

*1:消費性向=消費C/可処分所得Y

*2:いずれも地方消費税を含んでおります。以下同じ

*3:法人税率引下げの効果には疑問を感じておりmすので、ここでは挙げません。

日本社会は国際的にみて不平等?

日本でも貧困が広がっているともいわれます。

貧困を相対的なものとして計測する限り、
社会を構成する全ての人間たち全員が
完全な平等な資産・所得を持つことはあり得ないので
不平等や貧困は社会が続く限り残ります。

厚生労働省の発表によりますと、
日本の相対的貧困率は15%あまりとされます。
これは社会の中央の半分以下の所得しかない人が
社会全体の15%いるという計数になります。

日本は15%ですが、これは
メキシコ18%、トルコ17%、米国17%についで
OECD加盟国中、4番目に悪い指標であるとされます。

これをもって、日本は不平等な社会になったという
議論が近年において盛んとなりました。

しかし、先進国クラブと言われるOECD諸国においてすら、
この相対的貧困率の測定に
使用されている統計手法はバラバラであります。
家計調査、社会生活基礎調査、国勢調査など、
統計はそれぞれ違う目的で、違った標本設計で、
違う調査方法で行われています。

どのような状態になれば不平等や貧困という
問題から社会は解放されたと言えるのでしょうか。

本日の参考文献はこちら。

税制改革のミクロ実証分析――家計経済からみた所得税・消費税 (一橋大学経済研究叢書61)

税制改革のミクロ実証分析――家計経済からみた所得税・消費税 (一橋大学経済研究叢書61)