価格機構と学力選抜の類似性?
価格機構において、需要と供給が均衡したところで需要者が支払う価格は、その財を入手するために犠牲にしてもよい(あきらめてもよい)額であると考えられております。
100万円の財(例えば、自動車)を購入するということは、その自動車に100万円の価値があると需要者が認めることであり、その者は代わりに100万円で行えること(例えば、旅行)をあきらめていることと同義であるわけです。
人々は、トレードオフに直面しているというアレですね。
詳しくは、→(こちら)をご参照ください。
一方、学力選抜試験(例えば、大学受験)であれば、入学の定員はあらかじめ決まっており、受験者はこれを突破するために他のこと(遊びに行く、好きな本を読む)を犠牲にして受験勉強をしていることになり、価格機構と類似しているとも考えられるわけです。
(※この場合、大学で学ぶための学費の問題はまた別なので、考慮にはいれません)
何かを手にれるためには、お金を払わなければならないわけですが、これは近代以降、市場経済が成立してから行えることになったことであり、中世や絶対主義の時代では様々な因習により「買えない」ものがあったわけです。
また、ソビエト連邦においては、共産党幹部だけが利用できる特権階級だけの店があり、そこでは価格による配分が完全には存在しませんでした。
この日本では、権力者が持っている1万円札と、私が持っている1万円札は同じ価値で公平です。
(会員制のクラブとかはまた別物ですが)
市場経済とは、この「当たり前」が素晴らしいのです。
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- 作者: 林敏彦
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 1989/10
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