読書ノート「財政赤字の淵源-寛容な社会の条件を考える」
- 作者: 井手英策
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2012/10/17
- メディア: 単行本
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「人々は租税負担の一方で公共サービスからの受益があるから納税を受け入れる。これを基礎として再分配への合意形成、そして福祉国家そのものが成り立つ」
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「すなわち、低所得層への再分配を行おうとすれば、まず、みずから生きていける人々(=中間層)の生活を豊かにしなければならない」これを著者は連帯のパラドックスと呼んでいます
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「・・現在の中央銀行政策は財政のファイナンスに動員されていると見るべきだろう」ちょww
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「財政出動が難しくなる局面ではいっそう中央銀行政策への負荷は大きくなることが予想される」うーむ数年前に書かれた論文がもとになっていますが、当たりつつあります。。
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
しかしここで著者は、家計のうち、金融資産を全く保有しない世帯が全体の25%くらいもあるということを論じていない。無貯蓄世帯には金融緩和政策は直接的には影響がないはず
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
超金融緩和による「逆の」所得移転について。ゼロ金利政策・量的緩和政策が利子所得の減少・調達コストの現象で、家計から非金融事業法人へ所得移転をもたらしたというのはよく論じられます。
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
しかしここで著者は、家計のうち、金融資産を全く保有しない世帯が全体の25%くらいもあるということを論じていない。無貯蓄世帯には金融緩和政策は直接的には影響がないはず
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「緊縮財政と超金融緩和という奇妙なポリシーミックス」民主党政権下の、今となっては喜劇じみた「ムダを省け」を思い起こすとやはり緊縮財政は「奇妙」としか言い様がありません
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「垂直的公平性はイデオロギー色の強い概念である」垂直的公平とは、負担能力の高い人にはより多くの租税を負担してもらうことが公平にかなうという考え方
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「どの程度の累進度があれば公平なのか、あるいはどの所得階層までを低所得層とみなすのか、これらを理論的に示すことはほとんど不可能に近い」このため悪罵の応酬が終わらない。。
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「この問題をさらに突き詰めれば、なぜ私たちは貧しい人々のためにより多くの税を負担しなければならないのかという問いにまで行き着く」むむむ
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「(低所得層が福祉に依存して働かなくなるという)モラルハザードが起きること自体が問題だというなら、モラルハザードは必ず起きるので低所得層の救済は行うべきではないという論理に行き着く」先生、もうその論理になりつつあります。。
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「所得の多寡とは無関係に人々を等しく取り扱い、社会の信頼を高めつつ結果として格差を是正する」これが可能になるためには現在の不信社会をどうやって変えていけばいいのか。。
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
「他者を疑うのではなく、他者の過ちにも寛容でいられる社会・・市場経済に対抗できるような政府の論理を構築すること」先生、今の政府は真逆を進みつつあるように感じています(シバキ上げ政治。。
— すらたろうさん (@sura_taro) 2013年5月5日
なぜ今日の日本社会がこのような不信に満ちた社会になり、財政赤字はそれにどう関係しているのかという問題を、戦前、大蔵省時代まで遡って考察しています。
原因と結果はわかりましたが、では著者が提言する「寛容な社会」へはどうしたら変わっていけるのか。
そこは明確ではありませんでしたが、自らに課された課題として考えていこうかと思います。